第8話

みやふきんさんはおなかが減っていた午後、かすかに黴のにおいのするアパートの一室で翌日の天気についての話をしてください。

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「遠くへ、あとかたづけ」


 夜帰宅して郵便受けを見ると、めずらしく封書が入っていた。いつもは宣伝のハガキばかりなのに。封書の差出人は〇〇町役場。私が小学五年生まで住んでいた町から、何の知らせだというのだろう。両親が離婚して、母の実家がある東京で暮らして、もう15年以上経つ。それ以来、父とは一度も会っていないし、あの頃住んでいた町には一度も訪れていない。父がどこに住んでいるかも知らなかったから、まだあの町で暮らしていたことを、今はじめて知った。手紙には父が数日前に亡くなったと書かれていた。

 父は、肺炎により病院で息を引きとったらしい。死亡届は父が住んでいたアパートの大家さんに出してもらったとのこと。入院時の所持品の中に献体登録カードが見つかり、連絡先に記されていたのが父の兄で、その方の同意を得て、遺体は大学病院へ献体されたと書いてあった。献体の場合、火葬費用は大学病院側が負担し、遺骨が帰ってくるのは一年以上あとになるらしい。住んでいたアパートの退去などいろんな手続きをしなくてはいけないが、ケアハウスで暮らしている高齢のお兄さんには頼めず、役所で戸籍を調べて娘の私に連絡をしたということだった。

 手紙を受け取った翌日の昼休憩に、私は町役場へ電話をかけて、担当者に訊いた。具体的に私は何をすればいいのか。

 担当者はしなければいけないことを教えてくれた。とんでもなく早口で。

 「まずは住んでいたアパートの片付けをして退去しなければいけません。今月末までにすれば今月頭に引き落としした分で済むと大家さんがおっしゃってました。敷金があるのでたぶん補修費用はそれで賄えるだろうとのことです。電気ガス水道の利用停止もお願いします。利用者番号はこちらでは分かりかねます。各事業者にお尋ね下さい。住所を伝えたら教えてくれると思います。あと、部屋の片付けですが、遺品整理業者に依頼するという方法もあります。最低でも五万円はかかるかと思います。ただ、アパート退去の立ち会いについては業者でできるのかどうかは分かりかねます。どうされますか?」

 どうするか、と言われてもすぐには答えられない。考えをめぐらせるために、担当者の名前を聞いて一度電話を切った。

 一人暮らしの荷物なら片付けもそう大変ではないだろう。タンスなどの大きな荷物だけが問題で。

 昼休憩が終わる数分前にもう一度町役場に電話をかけた。タンスなどの大きな荷物を一緒にゴミ置き場まで運んでもらえるか訊くと、本当は職員はそこまでする義務はないのだけれど、なんとかしてみると言ってもらえた。ならば、と粗大ゴミ回収の日を教えてもらい、その前日に行くことにした。自宅に帰ってからネットで家電のリサイクル回収について調べた。冷蔵庫、洗濯機、テレビ、エアコンたぶんどれも一つはあるだろうと予測して、業者に当日に回収してもらえるように手配しておいた。あの町を訪ねるのは一度きりで済ませてしまいたい。

 そうまでして出向くのは、この件での支出を少なくしたい気持ちも多少はあったが、小学5年生の時に引っ越してから一度も訪ねていないあの町へふと行ってみたくなったからだ。


 急だったので仕事の休みが思うように取れず、早朝に出社してひとつ用件を済ませてから出向くことにした。向こうへは昼頃に着く段取りで、着いてから軽く昼食にしようと考えていた。ところが仕事が長引いて、予定の新幹線に間に合わず、次の新幹線に飛び乗ることになってしまった。

 平日の新幹線は乗客もまばらで、自由席でも座ることができた。新幹線が動き出してから、乗る前に昼食のお弁当を買っておかなかったことをひどく後悔した。管内の新幹線では車内販売の弁当の取り扱いを終了したと、先日ネットニュースの記事を読んだのに。在来線の乗り継ぎ時刻を調べ、ほぼ待ち時間なしに連絡する電車があることがわかってホッとした。同時に昼ごはんを食べ損ねることが確定した。しかたなくぼんやりと窓の外を眺めてみた。景色があまりにも早く流れて、追うのに疲れて目を閉じた。

 これから訪ねるあの町のことを思う。引っ越してから一度も訪れていないから、おぼろげになった記憶を辿る。駅前にあった駄菓子屋兼生活用品を取り扱う商店はまだあるだろうか。あの頃、月に一度、お小遣いで漫画雑誌を買いに行くのが楽しみだった。生まれてから引っ越すまで過ごしたあの家は、今は知らない誰かが住んでいるのだろうか。家の門のそばにあふれんばかりに咲いていたモッコウバラは今もあるだろうか。7年前に亡くなった母が好きな花だった。他の地方から少し遅れた今頃がちょうど見頃のはずだ。実家にあるものはもう盛りを過ぎてしまった。祖母が手入れしてくれているおかげで庭は花盛りだ。そういえばあの家のモッコウバラも白い種類だっただろうか。思い出してみたら記憶は思った以上に曖昧になっていた。

 父の住んでいたアパートのある場所は、あの家とは反対方向にあるようで、わざわざ出向かない限り、あの家を見ることはないだろう。出向いているような時間の余裕などない。


 新幹線の駅から在来線に乗り換えて一時間、最寄駅についた。記憶の中の駅周辺とは違って新しくなっていた。駅舎は建て替えられていて、駅前の商店は駐車場を数台備えたコンビニに変わっていた。

 亡き父の住んでいたアパートへはアプリの地図を見ながら歩いて向かった。なんとか待ち合わせの時刻に間に合いそうだった。

 待ち合わせ時刻ギリギリに到着すると、アパートの入口には軽トラックが停まっていて、そばに役場の担当者らしき若い男性が立っていた。担当者は私の姿を見つけると、黒い肌に比べてやけに白い歯を見せて会釈した。私もひとまず会釈してのろのろとそばへ向かった。役場の担当者はまだ私がそばに来ていないのに、やや大きな声で勝手に話しはじめた。

 「遠いところ、すみません。午後から、休みもらってきました。軽トラは親のです。引越しゴミって持ち込めるんですよ。クリーンセンターは夕方四時までなので、ちょっと急ぎで片付けないといけません。さっそく部屋に向かいます。大家さんに連絡しますね」

 彼は携帯電話を取り出して大家さんを呼んだ。病院から預かった荷物の中に鍵がなくて、と釈明した。大家さんが来るまでの間に、これお父さんの荷物です、と役場の担当者から紙袋を受け取った。

 ほどなくしてやって来た大家のおばあさんと三人で一階の通路の奥までゆっくり進み、つきあたりのドアの前に立った。どことなく匂う。大家さんが鍵で部屋のドアを開けた瞬間、腐敗臭が蒸れた空気に押されて迫ってきた。部屋の中は、からっぽのペットボトルが散乱し、ゴミを入れて口を結んであるコンビニの袋で床が埋め尽くされていた。

 三人とも息をのんだ。

 少し臭いがすると近所から言われてはいたけどここまでとは、と大家さんは手で鼻を押さえた。

 ちょっと前まではゴミ収集の仕事してたらしいけど皮肉だな、と町役場の担当者は顔を歪め、トートバッグからゴム手袋を取り出してはめた。それを契機に私もカバンからゴミ袋を取り出し、ゴム手袋をはめ、持参したスリッパに履き替えて部屋に上がった。大家さんは終わったら電話して、と杖をついてよたよたと去っていった。


 ゴミを拾い集めてものをなくしていくと、この部屋は台所で、テーブルどころかゴミ箱すらないことがわかった。居間にはタンスもなく、服はダンボール箱に入っていた。いらないものはすべてゴミ袋に入れていく。

 ある程度片付いたところで、家電リサイクル回収業者もやってきて、台所にある冷蔵庫と洗濯機、居間にあるテレビとエアコンを運び出していった。

 私は他の部屋に取り掛かろうと襖を開けた。むっとしたよどんだ空気を感じた。どことなく黴臭い。部屋は暗く、窓にはカーテンがかけてあり、ぴったり閉められていたので、電灯の紐を引っ張って灯りをつけた。その部屋には一切ゴミの類はなく、整然と片付けられていた。カーテンは学校の視聴覚室にあるような厚手の黒いものがかかっている。部屋の片隅にきちんと積まれた角形の大きなバット類と並べられた薬剤。ガラスケースの中にカメラといくつかの交換用レンズが納められている。その隣にダンボール箱が二つ置いてあった。

 ずっと父はカメラで写真を撮り続けていたようだ。この部屋を暗室に使っていたのかもしれない。部屋の壁には山や滝などのモノクロの風景写真のパネルがいくつもかけられていて、どれも陰影で魅せる迫力のあるものだった。これは誰が撮ったものなのだろう。父、なのだろうか。

 部屋はやっぱり黴の匂いがするので、カーテンを開けてみた。窓にはびっしりと黒黴がついていて外が見えないほどだった。窓を開けると、セメントで固められた斜面が目の前に迫っていた。その隙間は五十センチ程度。よくもこんなところにアパートを建てたものだと感心しながら、これなら黴がついても仕方ないと納得した。

「必要なものがあれば持ち帰って下さいね」

 背後から町役場の担当者の声がした。襖の向こうの台所と居間は、ほぼ床が見えて、玄関のドア付近にゴミ袋が山積みにされていた。

「いらないものは全部ゴミとしてクリーンセンターまで持ち込みますので。ひとまずこれを軽トラに積んできますね」

 町役場の担当者は両手にゴミ袋を抱えて玄関を出て行った。私も手伝うべきかと思ったが、部屋の荷物を整理する方を優先することにした。カメラの入ったガラスケースの横にある小ぶりのダンボール箱に貼られたガムテープを剥がして、蓋を開けてみた。中には現像したモノクロの写真がそのまま重ねられていた。上から数枚手に取り、見てみる。同じ構図のようで少し違う写真。わずかにピンボケしている。きっと没にしたものなのだろう。それ以上見ることはやめて、そのまま捨てることに決めた。次のダンボール箱の中はポケットアルバムがぎっしり詰まっていた。一つ手に取りめくってみると、運動会で走る私の姿がずらりと何ページにもわたって並んでいた。それは父が最初にカメラを手にした頃の写真だ。小学一年生の運動会であまりにも観客席から遠く、まったく私の姿が撮れなくて無念だった父が、奮発して望遠レンズと一眼レフカメラを購入した。私の持っているアルバムには、その年の走っている私の写真は一枚だけしかなかったはずだが、本当はズーム機能を駆使して何枚も連写して私の走る姿をとらえていたらしい。それほどのアップの写真は、小学校と契約しているプロのカメラマンにはリレーの選手くらいしか撮ってもらえない。足の遅い私でも、ズームで切り取られた走る姿は、それなりに様になって見えるのが不思議だった。小学二年生の私は、友だちにも得意げに運動会の写真を見せたように思う。それが数年にわたってファインダー越しに同じように切り取られ、家族の中でしか主役になれない私の姿がむしろ虚しく、小学五年生の春の運動会では写真を撮るなら運動会に来ないでと言ったことは覚えている。朝早く出て夜遅く帰ってくる父とは、もともとほとんど話をすることもなく、そのくせ行事ごとにカメラマンとしてやってくることに苛立ちを感じていた。いかにもいい父親ぶっているポーズのように思えていた。

 その頃、母と父の仲が悪くなっていることにも気づいていた。母から離婚の話を聞いた時は驚かなかったし、母についていくとすぐに決めた。

 ポケットアルバムには、学校行事ごとの私の写真が並んでいて、それは小学四年生で終わっている、はずだった。

 ところが東京に引っ越したあとの、隠し撮りされたような写真が何枚もあった。

 小学校の卒業式で、母から借りたカメラで友だちと写真を撮りあいっこしている姿。中学校の入学式へ向かう私と母が緊張した面持ちで並んで歩く姿。中学校の卒業式で、部活の後輩からもらった花束を抱えて、母と一緒にしんみりした顔をして帰る姿。どれもあきらかに望遠レンズで遠くから狙ったのだろう。高校はさすがにわからなかったのか写真は一枚もなかった。期間が空いて、最後は成人式の写真だった。本当は成人式に行くつもりではなかったけれど、ガンで余命わずかになってしまった母に晴れ姿を見せたくて、勤め先の先輩に貸してもらった振袖を着た。写真の私は笑って手を振っている。この時、私は母に向かって手を振っていた。私と母からは見えないところで、父がカメラを構えていたなんて。

「いい写真ですね」

 役場の担当者が背後から覗き込んで、そう言った。私は何も言葉を返せなかった。驚きに心が支配されていた。見ていたポケットアルバムを閉じてダンボール箱に戻し、ここにあるもの、全部いらないものです、と言った。「カメラもレンズも、今さっきの写真も?」

 役場の担当者が驚いた表情で言うので、もう一度はっきりと言った。

「いらないんです、全部」

 もったいないけどなぁ、カメラは売ったらお金になるかもしれないけどなぁと役場の担当者がつぶやきながら、段ボール箱を持ち上げて玄関まで持っていった。私も段ボール箱をひとつ運んだ。じゃあ、カメラは寄付しますと私が言ったので、カメラとレンズを入れたケースだけは助手席に置かれて、他のものはすべてトラックの荷台に積み込んだ。

 黴だらけだった窓を拭いたあとでも、部屋にはかすかに黴の匂いが残っていて、開けっぱなしの玄関から差し込む傾きかけた日のひかりがまぶしかった。

「おつかれさまでした。よかったら飴玉どうぞ」

 役場の担当者から差し出された個装のキャンディーを受け取って、すぐに袋を破いて口にした。空腹だったことも忘れていたのに、舌が甘みを感じた途端、急にお腹が減ったように思えた。

「明日から雨らしいですね。片付けを今日にしてもらってよかったです。濡れるのは嫌ですもんね。手早く整理してもらったおかけでなんとかクリーンセンターが閉まる前に間に合いそうです」

 そう言って町役場の担当者はすがすがしく笑った。つられて私も笑顔になった。

「ほんと、晴れて良かったです。今日はありがとうございました」

 彼には感謝しかない。

 私は粗大ゴミ処理費用を多めに役場の担当者に渡した。お釣りはあとでここに持ってきます、と彼は言って、大家さんへ片付けが終わったことを電話で伝えてから軽トラに乗り込み、車を出した。

 大家さんを待つ間、物がなくなってがらんとした部屋を見ながら、ここにあったものを思った。

 いつのまにかファインダーを通してしか私と関わらなくなった父は、いつも遠く、向こう側にしかいない人だと思っていた。そのことは今日、知ったことも含めて変わらなかった。本当はこちら側へ、そばへ来て、直接私を見てほしかったという気持ちが芽生えたことを、私はそっと遠くへ仕舞った。

 



 


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「#さみしいなにかをかく 」から生まれたお話 みやふきん @38fukin

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